趣味の広場

増田幸正さん
十方設備工業(株)

 私の趣味は、スポーツ観戦です。
 スポーツ観戦者として、どうしても話したいことがあります。それは、今年富山第一高等学校サッカー部が全国制覇したことです。
 一回戦の埼玉駒場スタジアムから準決勝、決勝の国立競技場まで観戦に行ってきました。富山の子供たちがようやく辿り着いた聖地、決勝の4万8千人の大観衆の中で子供たちがサッカーが出来ると思っただけで感動しました。最後まであきらめずに一点を返した瞬間から国立競技場がどよめき、富山コールの中PKをもらった時には、周りのファンとヤッターと叫びつつハイタッチ!!同点に追いつき延長戦へ。選手たちが空に向かって人差し指を掲げると、会場の富一応援団も同じく人差し指を空に。会場の3分の1ほどの人差し指が空に向かっいました。その光景は今も忘れられません。優勝が決まった瞬間は、アドレナリンが出まくりの、シナプスが繋がりまくりの何十年分もの感動と感激をもらいました。
 富山県内には、大きく分けてバスケット、サッカー、ベースボール、バレーボールのプロチームがあります。(他にもあると思いますが?)
 一昔前までは地方都市にプロチームが出来ることは考えられないことでしたが、今では間近でプロの試合を観戦できる富山県。とても素晴らしい地方都市へと変わったと思います。
 私は、バスケットボールチーム、富山グラウジーズの試合を観戦するのがとりわけ好きで、ホームゲームには必ず足を運んでいます。秋から春までのシーズン中、冬場は暖房も入る体育館の中で、2メートルを超える選手が目の前で激しくぶつかり合う臨場感サイコーです。
 どんなスポーツであれ、日ごろの努力と、あきらめない気持ちがスーパープレーを生み出すものと思います。スポーツは会場で観戦するとパワーをもらえ、より一層強く心に残り感動も感激もひとしおで、何より若返ります。
 プロの試合を間近で観戦した富山の子供たちが、将来プロスポーツ選手となって活躍してくれるよう応援しています。
(組合だより「水商売」Vol.43より)

   
増田幸正さん写真
増田幸正さん写真
増田幸正さん写真
増田幸正さん写真
増田幸正さん写真
増田幸正さん写真

 

坂井喜男さん
富山市管工事協同組合

 「ダーツ」は私の生涯の趣味です。地元の下村加茂神社で行われる「やんさんま(※1)」は、一丈二尺(※2)の大弓を持って馬を走らせ、馬上から的めがけて一矢を射す神事ですが、この「矢を放す」という点が共通していることから、平成11年に村の生涯スポーツとして「日本ダーツ協会下村支部」が発足しました。水郷の里(下村パークゴルフ場)管理棟に用具一式8組が設置され、平成12年3月に第1回下村民ダーツ選手権大会が、とねりこふれあい館で開催されました。翌13年からは富山県選手権大会が下村体協主催で始まり、以後、毎年継続されています。
 県選手権大会の参加者は、当初は30名ほどでしたが、最近では80名余りの人々が県内各地域から集ってきます。それだけの人に見られるわけですから当然、練習の時のように気楽にはいきません。まして決勝戦ともなると、緊張のあまり頭が真っ白、のどはカラカラ、矢が狙ったところに当たってくれず……結果、準優勝は数回ありますが、優勝経験は一度もないのです。
 パークゴルフのオフシーズン(11月〜翌2月末)に下村パークゴルフ場の管理棟で一週間に1回ダーツ教室を開催しており、私も講師として参加しています。興味のある方はぜひ参加してみて下さい。

※1 豊作を祈願する神事で、やぶさめ(流鏑馬)がなまった土地の言葉
※2 約3.6m
(組合だより「水商売」Vol.39より)

   
坂井喜男さん写真
背すじ伸びてます!
 
坂井喜男さん写真
さすが講師、美しいフォームです
 
坂井喜男さん写真
いつかはセンターに!!

 

深川鉄夫さん
富山市管工事協同組合
事務局長

 私の生まれた射水市(小杉町)青井谷は、JR小杉駅から南へ4キロほど入った農業、林業が主体の山間地であった。もちろん、その頃は信号機やテレビもなく、遊びといえば釣りか三角ベースの野球が主であった。
 近くの農業用の溜池や下条川では、鯉や鰻なども捕れ、のどかな自然を満喫していた。
 小学校2年生の時、下条川へ友達数人と釣に行ったときのことである。土手から足を滑らせ、川へドボン。泳げない私は、何かの小枝に掴まった(後からの夢かも)ような気がしたが覚えていない。気が付いたときは、近所の大人たちが道端で火を焚き、私の体を温めながら人工呼吸、父の顔が見えた。あの世の入り口こそ見えなかったが記憶がなくなる寸前は真っ暗になったのを覚えている。
 そんなことがあってからも父に連れられたりして釣りは続いた。
 就職してからは、八尾の先輩に岩魚釣りに連れて行ってもらい、三月の解禁日を待ってよく出かけた。3月の河原は雪。川の淵を2時間ほど上流へ歩き、岐阜県境まで登る。釣りながら川を何度も横断するため、その度に長靴に水が入る。雪解け水は冷たく、雪の上に足を置いた方が暖かったような気がした。
 当時(昭和45年頃)は良く釣れ、尺物をねらって何年か通ったが、最高は32cmであった。退職した先輩に最近の釣果を聞いたが1匹も釣れない日もあるとのこと、寂しいかぎりである。
 10年前から近所の友人に誘われ鮎釣り(友釣り)を始めた。いまだに釣果は、師匠の3分の1位であるが面白い釣りである。6月の解禁日から9月末まで、ホームグランドは神通川、庄川で多い年には30日以上は出勤する。
 また、海釣りは、春のキスから旬を求めて、アジ、カマス、サヨリや黒鯛などあらゆるものに挑戦、最近では、友人のボートでカサゴ、アマダイやノドグロ(アカムツ)などの根魚をねらっている。釣る楽しみもさることながら、帰ってからの魚を肴にしてのお酒がなりより楽しみである。
(組合だより「水商売」Vol.38より)

   
深川鉄夫さん写真

↑鮎師

 
深川鉄夫さん写真
神通川にて(大沢野橋下流)
 

↓鮎道楽号

深川鉄夫さん写真
河原で見かけた時は、声をかけて下さい
 

 

雨宮賢次さん
株式会社タイセツ

 「ジージージーっ!」春から秋までの朝刊野球シーズン、週に1〜2回とても心地良くない目覚ましの音で早朝の4時前に起こされます。年齢の割に早起きするのが苦手な私にとって物凄く大変な事で有りますから、起きる度に「来年は絶対やめてやる!」と思いながら既に5年以上も早起きしています。
 趣味らしい趣味もない私ですが唯一続けているのが草野球です。主な活動はやっぱり朝刊野球ですので、自分が行かなかったらゲームが出来なくチームメートだけではなく、相手チームにも迷惑掛けるんじゃないか、と言うのも有りますが、年齢を重ねる毎になかなか感動や緊張感又は、仲間達と喜びを味わう事が無くなってきましたが、その中で私にとって草野球はチームメートと共に喜びや、悔しさを味わえる新鮮な時間を与えてくれるので、眠たい目をこすってせっせとグランドに通っているのだと思います。
(平成24年発行 組合だより「水商売」より)

   
雨宮賢次さん写真
やっぱり礼に始まり礼に終わります
 
雨宮賢次さん写真
雨宮所属のチームMです
※練習試合等申し受けます
(そこそこ弱いのでご遠慮なく)
 
雨宮賢次さん写真
結構マジメにやってます
※チームメート募集中!
(そこそこ弱いので気兼ねなく)

 

竹元正治さん
正栄工業株式会社
ある日、水商売のスタッフの方から、「今度竹元さん水商売に載せる『わたしの趣味』の原稿をお願いします。」との連絡があり、「はいわかった」と軽く返事をしてしまい、あとになって「おらに趣味等があったがか?」と思い、ペンをとっております。
兄貴の影響で、小学校4年から47歳までは、野球ひとすじでした。目標は、シニアの寿野球大会に出場して、60歳(還暦)まで出場し続けると開会式の時に、寿のマークのついた赤帽子をかぶせてもらうのが夢で頑張ってやってきましたが、46歳の時左足のふくらはぎの肉離れをおこし、翌年内野フライをとりそこねて転倒して、軽い脳しんとうをおこし、野球とも別れ、その後は、高校野球の観戦にかわっていきました。
ゴルフとの出会いは50歳のとき野球部の後輩の方から、竹元さん「あんたのゴルフをはじめるコンペの場所と日も決めてしもうたから、道具を用意しられ」と言われ、兄貴も「正治ゴルフはじめたらどうや」の言葉で、絶対やらないと思っていたゴルフにはまってしまいました。最初の頃はスコアとHDCPをよくしたい思いで、夢中になりましたが、今日この頃は、夢はかないそうもありませんが、かわりにゴルフを楽しもうとする気持ちが強くなりました。これからも多くの人と触れ合いたいので、誘ってください。お願いします。
(平成18年発行 組合だより「水商売」より)
   
竹元正治さん写真
竹元正治さん写真
竹元正治さん写真

 

谷川弘さん
田中久雄さん
西田誠志さん
丸谷工業(株)代表取締役 谷川弘氏
昭和53年、本格的に空手道入門、大阪経済法科大学に於いて大学の空手部「拳志会」に所属、当時は顧問として三重県津市より日本空手協会の中林先輩に指導を受ける。約1年後初段取得し、幾多の試合に出場させていただいたが、成績は振わずじまい。さらに、新人戦組手試合にて稽古不足の為左足半月板損傷、その後ケガが長引いた事もあって余儀なく退部。・・・時は過ぎ・・・
是非自分の子供等にも武道を歩ませたいと長女長男を日本空手協会、練成館富山(合併により現在静道会・館長 白川正視)に預けました。子供等も中学に入り互いに剣道の道を歩む中、平成13年6月、館長より全国中学校空手道選手権大会が富山で開催されるので監督として参加を願いたいと依頼があり、息子も出場する事もあって親子で参加しました。これを機会に「再挑戦」を決意、本年2005全国スポーツマスターズ富山県大会空手道競技「組手2部」として富山県代表出場を果たしました。現在会員(少年の部)らには青少年育成活動の一環として、また一般には健康づくりとして楽しく指導活動していました。
有資格
・全国空手道連盟 静道会富山 参段
・財団法人全日本空手道連盟 弐段
・富山県空手道連盟 審判員
・全日本空手道連盟 静道会富山(芝園道場指導員)

(株)田中商会 田中久雄氏
運動不足解消の為に空手をやっています。子ども達が多くいて心が和むひとときでもあり、ストレス解消、心身のリフレッシュができています。谷川さん、西田さんの二人が道場の先輩としてやっておられるので、とても心強く感じています。ケガをしないように気をつけて続けていくつもりです。

(株)西田工務店 西田誠志氏
実は私は、空手は小学校の頃にやっていて中学校入学時に辞めてたんだけど、青年部に入り谷川さんと出会って、誘われて、またj始めるようになり、現在3年4ヶ月がたちました。最初は中途半端で辞めたから、もう一度頑張ろうかなと思って始めたけど、いつの間にかハマってしまい、週2の練習から週3、週4と増え、空いた日はジムでトレーニングするようになりました。頑張った結果か運が良かったのか今年の第60回岡山国体に出場させてもらいました。しかし、初めての全国大会・・・。緊張、そして頭は真っ白になり、ボコボコにされちゃいました。今は、来年の兵庫国体に向けて、一から体、技術を造り直し日々練習を頑張っています。それが苦しく、大変だけど、また、楽しくもあり、来年こそは!押忍!

今回は、静道会へ取材に行ってきました。場所は総曲輪小学校の体育館、ここで週4回練習をしているそうです。この季節体育館の床は冷たく取材をしている私はとても寒く感じたが道場の人達は皆素足で稽古着姿、これにはさすがに驚きました。空手の稽古を通して武術の習得はもとより、体力づくり、精神修行、ストレス解消等、いろいろな成果が期待できるようです。年齢性別を問わずたくさんの仲間が一堂に会して練習に打ち込んでいる光景は、はたで見ていても身がひきしまり、又とても気持ちのいいものでした。
9月 スポーツマスターズ 谷川氏出場
10月 岡山国体 西田氏出場
(平成18年1月発行 組合だより「水商売」より)
   
練習の様子写真
写真
写真
練習の様子写真
練習の様子写真

 

内山祐治さん
ウルトラマラソンの経験
私は、20年前に職場のジョギングクラブのメンバーになって、黒部のジミー・カーター・ジョギング大会や親不知トンネル開通記念大会に出場したことを覚えております。当時4、5年続けたといっても年に約2回出場した程度で、精々10kmのレースしか経験した事がありませんでした。40歳代になって中年太りというか健康診断ではいつも肥満体、肝機能項目では要注意か再検査の診断を貰うようになりました。
そんな折、青年部卒業後に通った経営者セミナーでご一緒した金沢の同志が毎回、毎回、ウルトラ100kmマラソンを熱く語ってくれました。1年間その談義を聞くにつれて、自分もヒョッとして100kmウルトラマラソンを走れるのではという錯覚に囚われるようになっていきました。2001年4月のセミナー終了時にはトレーナー(先生)含めて3名が彼の罠に嵌っていました。そのような訳で翌年(2002年)の1月、沖縄宮古島100kmウルトラ遠足(トオアシ)に挑戦することになったのです。
ウルトラマラソンの当日は、「死んでも完走するぞ」との思いで、早朝5時、真っ暗な中をペンライトを体に付けてスタート。日中は最高24℃炎天下の中も必死になって走っておりました。ゴール手前では、真っ暗でコースを間違えそうな状態でしたので、私の前を手を繋いで走っている、懐中電灯を持ったご夫婦に着いていくのがやっとでした。なんとかゴールに到着したのは、午後7時を過ぎておりました。走り終わって「ヤッター」という達成感よりも、早く横になって倒れたいという感じでした。
散々な思いをしたウルトラマラソン初挑戦でしたが、この経験がこれ以上、酷い、辛い、痛いことは他に有るまいと逆に開き直ることが出来ました。
今は、すっかりマラソンにはまっております。富山県内では、3月の神通川マラソン大会を皮切りに、4月の魚津しんきろうマラソン、5月の黒部名水ロードレース、県内唯一のフルマラソン「とやま清流マラソン」と、楽しいマラソンイベントが続きます。みなさんも「何もかも捨てる」という決意で挑戦してみては如何でしょうか。
(平成17年3月発行 組合だより「水商売」より)
   
内山祐治さん写真
内山祐治さん写真

 

藤木一仁さん
藤木工業(株)
富山市藤木522番地3
「糖尿病の運動療法は命懸け」
バンコク旅行に行き、街を歩いていると、驚きの連続だった。ホテルを一歩出ると、これが朝8時かというムッとする暑さ。子供をダシにお金をせがむ物貰いの集中砲火。彼ら路上生活者は日本人が泊まるホテルの前で張っているのだ。連続歩行が命の運動療法に予期せぬ邪魔が入る。行く手に何度となく彼らが現れたら運動も効果が上がらない。周囲の反対を押し切って歩く意味がない。
さて、都会の朝8時といえば万国共通、通勤ラッシュの始まる時間だ。スカイトレインの工事をする幹線道路は早くも大渋滞。私は歩道の上をスイスイと歩きながら、毎度毎度渋滞にはまる愚かな文明人を軽蔑のまなざしで眺めた。
知らぬ間に、傍らをバイクがビュンビュン走っているではないか。私は歩道を外れ、車道を歩いているのではないかと自分の位置を確かめた。「バイク野郎は歩道を開けろ!」と怒るこれは歩行者とバイク野郎の戦争である。
命懸けの運動療法を敢行する事は、バンコクでは大変であることが改めてわかった。
(取材:飛騨 充、平成14年5月発行 組合だより「水商売」より)
   
藤木一仁さん写真
 

 

棚元理一さん
富山市荒川五丁目2-54
(株)東洋
赤道直下お伽の島「トラック島」
日本から真南へ約3時間半でグアム島着、乗り継ぎ1時間半で常夏の島ミクロネシア連峰チューク諸島モエン島に着きます。
昔の日本委任統治領南洋群島・トラック諸島。周囲200kmの環礁中に大小約39の島々があり、モエン島(旧・春島)はデュプロン島(旧・夏島)と並ぶ大きな島です。どの島も海岸はマングローブに囲まれ、山頂まで椰子の緑に覆われています。
島民は男女とも曙や小錦が日焼けしたような巨漢ばかり。主食はパンの実を餅状にした物、副食はタロ芋・バナナ・魚・飲み物は椰子の実(センの抜けた冷たいラムネ?)。
食べ物は島中に年中自生し、魚は目の前の珊瑚礁にいて、わざわざ畑や漁師をするマメな人はいません。小鳥の声で目覚め、あくせく働かず、椰子の葉越しに輝く南十時星を見ながら壁のない堀立小屋で寝るお伽の世界です。(一家の子供数は平均5〜6人)
ここは女系社会で男が嫁?に行く。だから、男子ばかりの家は跡取りに悩みます。また、貸借関係はお互い様、ある時払いの催促なし。しかし、近頃はグアムやサイパンへの出稼ぎで貸借面での伝統的美徳?が崩れつつあるようです。
チューク諸島では、ホテル等の自家発電を除き、電気も水道もありません。街灯・信号機・電話・テレビ・家庭電灯なし。街灯のない夜道を歩く恐ろしさは行かないと分かりません。見知らぬ国で一寸先は真っ暗闇、懐中電灯が車のライトの大きさに見えてきます。
新聞・バス・タクシーなし、郵便局があっても集配なし。道は民有地の中。車は日本製の1トン中古でナンバーなし。小さな車修理屋が1軒あるものの、全部外車?で部品調達が面倒。そこいらにある車の部品を無断流用するか海辺にすてているようです。島民にとって車は必需品であってないような代物かもしれません。
モエン島にはチューク諸島全体に届くラジオ局があります。電気がないのに誰が聞く?「誰々さんに郵便が来ている」「誰々さんが結婚した」と放送すると、誰かが携帯ラジオでそれを聞き、あちこちの島々からモーターボートで郵便局やお祝いに集まってくるわけ。集まれば早速椰子酒で宴会、とにかくお祭り騒ぎが大好きな人たちです。
今から50〜60年前に小学生だった方は、“♪ワタシのラバさん酋長のムスメ〜、色は黒いが南洋じゃ美人♪”や、少年倶楽部の連載漫画『冒険ダン吉』をご存知でしょう。ダン吉のモデルは、明治30年にトラック島へ渡った、森 小弁氏です。
彼は島民と結婚し、南興水産会社を創業、島と島との喧嘩に明け暮れていた人たちに働くことを教え、鰹節・ココナッツ輸出産業を興し、学校や病院を建てて島民の生活向上に尽くしました。
デュプロン島には彼が造った「観覧席つき運動場」と顕彰碑があり、今も“運動会・よ〜いドン・綱引き”などの日本語をそのまま使っています。
戦時中は海軍根拠地として、戦艦・武蔵や多数の艦艇や輸送船で賑わいましたが、昭和19年2月17日、米機動部隊の大空襲で軍艦9隻・船舶34隻沈没、飛行機270機撃破、陸上施設破壊、戦死者1,800名の大損害を受け、根拠地機能を失ってしまいました。米軍は真珠湾の敵討ちと喜び、今も沈没艦船をそのままに保存し、有名なダイビングスポットになっています。
※取材後記
社長は旅行が趣味で、歴史探訪を兼ねて、ご夫婦で行かれることが多いそうです。この手記は、よく戦地(トラック島)での話をされていたおじさんが昨年亡くなられたのを機に、行ってこられたそうです。
今までに、ヨーロッパ、中国(北京、西安、上海)、韓国、台湾、グアム、サイパン、ジャワ、……、日本国内(北海道・稚内以外)、……を旅行されたそうです。
(取材:濱田 健一、平成14年1月発行 組合だより「水商売」より)
   
棚元理一さん写真
棚元理一さん写真
 

 

渡辺福雄さん
ダイエー設備(株)
富山市黒瀬550
私は、川へ行くことが好きでよく行きます。鮎のシーズン中には、仲間と一緒にカンテラや投網、それに釣りなどをします。主に釣りが好きで、よく友釣りやコロコロをします。
子供の頃から川は遊び場で、祖父も川が好きだったせいもあり、舟によく乗せてもらっていました。昨年などは美濃市の長良川へ鮎釣りに行きました。最近、熊野川や神通川の釣り人の中には、県外の人たちがかなり増えてきているようで、特に群馬県ナンバーの車がたくさん堤防に停まっています。
今年の鮎はまだ小さく、1回平均25〜26匹ぐらいしか釣れません。鮎を釣ったら冷蔵庫で保存しておき、社員や仲間たちとバーベキューの時に焼いて食べることが多いです。
私の仲間たちは、釣った鮎をその場で炭火で塩焼きにして食べたり、頭としっぽを切り落とし、残りを3等分ぐらいに切っておき、スーパーの袋の中へ入れ、市販のから揚げ粉をよくまぶして唐揚げにして食べます。これは変わっていてどれだけでも食べられます。皆さんも一度お試しあれ。
(取材:赤塚 寿央、平成13年9月発行 組合だより「水商売」より)
   
渡辺福雄さん写真

 

坂井美彰さん
坂井管工業(株)
富山市萩原397-1
私がオーディオに深入りしたきっかけは、小学4年生の頃のことです。近所に蓄音機を持っているお姉さんがいて、ブラームスのハンガリア舞曲集のSPLレコードを聴かせてもらいました。その時とても感動し、また、楽しかったことがオーディオに関心を持った始まりでした。
小学生の頃からラジオを組み立てたり、壊したりをよくやっていました。そして高校の修学旅行で東京に行った時、新宿の音楽喫茶ラセーヌで“ザ・ピーナッツ”“スマイリー小原とスカイライナーズ”の生演奏を聴いた時には、かくも美しい音楽がこの世にあるものかと感嘆したものでした。
昭和34年に社会人になり、給料のほとんどを遣い、真空管アンプ作りやレコードプレイヤーのパーツを集めて組み立てたり、スピーカーBOXを作ったりと、大いに楽しみました。レコードもトスカニーニの新世界とマイルスデイビスのジャズ2枚を擦り切れる程聴いたものでした。
時代はステレオに移り、アンプやスピーカーも様々に変わっていきました。現在の装置は昭和60年頃に完成しました。スピーカーは、4way6スピーカーで、低音×2、中低音、中高音、高音×2です。1個のスピーカーに1台のアンプで駆動しているので、1台のアンプを3つのシャーシに組み込んでいます。アンプは『無線と実験』に掲載されている、金田式DCアンプです。2〜3年毎に改良されていますので、その都度、新作に替えています。また、車で秋葉原へパーツを買いに行くのも楽しみの1つです。
現在、レコードは約2,500枚、CDは400枚程ありますが、クラシック40%、ジャズ40%、その他20%の割合です。スーパーオーディオやDVD等は、まだソフトが少ないので、ある程度普及してから手を出そうと思って今は楽しみにしています。
秋の夜長に、水割りを飲みながらジャズバラードを聴いたり、また、落ち込んだ時にはベートーベンのシンフォニーに励まされたり、モーツァルトの心の優しさに打たれたりと、オーディオは本当に楽しいものです。
(取材:平成12年9月発行 組合だより「水商売」より)
 

 

坂井美彰さん写真

 

西田旭三さん
西田工業(株)
富山市石金一丁目3番24号
私の趣味は“釣り”です。小さい頃、いたち川のそばに住んでいたので、よく友だちといっしょに行きました。
本格的に始めたのは昭和42年頃からで、今は特に“あゆ釣り”によく行きます。「毛ばり」「投網」「テンカラ」「コロコロ」など、釣りの仕方にもいろいろあり、あきることがありません。
最近は、同級生たちと一緒に行きます。私どもの年令になると、ほとんどの者が定年退職して家にいるので、電話をすると何人かすぐに集まり、若い頃の話などで盛り上がります。
これからも友だちを誘って釣りに出かけたり、みんなとあたたかい風呂に入りながらいろんなことを語り合いたいと思います。
(取材 松永 勝、平成11年12月発行 組合だより「水商売」より)
   
西田旭三さん写真

 

岡田正敏さん
(株)丸岡産業
富山市窪新町8-26
(株)丸岡産業の岡田氏は海が好きで、若い頃から海釣りを趣味にしておられます。
海好きが高じて(?)か、縁あってか、八重津浜海水浴場に「八重津ハイツ」を今年の夏から開店することになり、社員の福利厚生施設としてバーベキューを行ったり、キャンプをしたりと活用され、親睦を深めていらっしゃいます。
岡田氏にとって海は恋人でもあり、海を眺めているだけでいろんな嫌なことを忘れさせてくれるそうです。
夏本番を迎え、浜茶屋も忙しくなり、岡田氏自らが厨房に立っておいしいラーメンを作ってくださいます。忙しく暑い中でも、海の潮風は岡田氏にとって心地よいものなのでしょう。
(取材:中山 昇、平成11年8月発行 組合だより「水商売」より)
   
岡田正敏さん写真

 

中川邦光さん
(株)中川工業
富山市水橋金広64-1
子どもの頃から、自然(山、川)に興味があり、15年位前から「日本野鳥の会」に所属しておられ、野鳥の名前や草木の名前は、だいたい判ると言っておられます。
生き物や野鳥の観察をしている間に、カメラを持つようになりカメラの腕もなかなかのもの。カメラやレンズもたくさんお持ちです。過去に撮影された写真を拝見。なんと白いカラス!珍しい白いカラスの写真もありました。ほかにもカモメがアユを取った瞬間、野鳥と自然、川、山、森、ご自身で釣り上げた1メートルの鯉など。
川へは、アユ取りと釣りで、アユはカンカラ網。川の上流に網を仕掛け下流からアユを追いこむ捕獲漁法は、運動のため。釣りは、精神静養という意味で釣りに行き、ナマズ、フナ、鯉、アユ、イワナ、ニジマス等いろいろ釣りを楽しまれます。(いろんな事を考えたり悩むとき、川で糸を垂れていると、嫌なことは水と一緒に流れていく)
釣り道具も拝見。ヘラブナ用、鯉用、アユ用など“釣りはフナに始まりフナに終わる”というヘラブナ用の竿は、ご自慢の一品。
ご自身で釣り上げた1メートルの鯉は、今でも自宅の泉水でほかの錦鯉と一緒に泳いでいます。
多忙の中、最近少し時間がとれたので子どもの頃、鳩を飼っていた昔を思い出してレースバトを飼育し鳩レース協会に入会し大きな大会に参加予定。
今回は、中川社長の趣味の一部を紹介させてもらいましたが、他にも、盆栽、絵画、車、仕事等趣味が広く公私ともに忙しい毎日を過ごされています。
(取材:松永 勝、平成10年10月発行 組合だより「水商売」より)
   
中川邦光さん写真